2012年4月6日金曜日

「よこはま 中区の歴史を碑もとく絵地図」を自転車で巡る その2

今回は7スポット

No.1 鉄道創業の地



1872(明治5)年、イギリス人技師モレルの尽力で横浜-新橋間に日本最初の鉄道が開通。当時の横浜駅は今の桜木町駅あたりにあった。
駅長室跡を記す銘板が地下道入口壁面にある(パンフレットより)
桜木町駅の外れにて発見。
この記念碑自体は昭和42年に建てられたものだそう。
背面に創業当時のダイヤが書かれてましたが、
上リ 横濱發車 午前八字
品川到着 午前八字三十五分
おっ?意外と速かったんですね。


No.14 近代街路樹発祥の地


1867(慶応3 )年頃、開港場・横浜の馬車道では、美しい景観づくりのため、各商店により柳と松の街路樹が植えられた。
近代的街路樹の先駆である。(パンフレットより)
当然ながら当時の街路樹の姿を見れるわけではないですが
「発祥の地!」と言われると「そうなのか...」と思いを馳せてしまう不思議。
ここにガス灯が灯って街路樹を照らしていたんですかね...表参道みたい。

No.15 鉄の橋、ブラントンと横浜

1869(明治2 )年に架け替えられた吉田橋は「かねのはし」と呼ばれた日本最初のトラス構造の鉄橋だ。
これを設計したリチャード・ヘンリー・ブラントンは、1868(明治元)年、政府の招きにより来日した英国人土木技師。
ほかにも横浜公園、日本大通りの設計など、横浜の近代的なまちづくりに大きな足跡を残した。(パンフレットより)
この碑からすぐ脇にある吉田橋を渡るとイセザキモール入り口。のような場所に建ってます。人通りは多いのですがどこか寂しげに建ってました。
ちなみにこの吉田橋は長崎の銕橋(1868製)に次いで「日本で2番目の鉄製の橋」だそうです。

 No.16 吉田橋関門跡(横浜市指定・登録文化財)


開港直後、開港場への出入り口として、ここに吉田橋が架けられた。
橋には関門が設けられ、開港場の治安を図った。関門を境に海側を関内、
陸側を関外と呼んだ。(パンフレットより)
そしてコチラがその「吉田橋」
ここから先が開港場(長崎の『出島』のような場所)が広がっていたかと思うと、
ちょっと感動ですね。今回のスポット巡りで一番グッときたかもしれない。
 

No.17 神奈川県電気発祥の地

1890(明治23)年に横浜共同電灯会社がこの地に石炭火力発電所を建設し、
初めて市内700軒に電力の供給を始めた。碑には当時のエジソン式直流発電機
が描かれている。(パンフレットより)
「発祥の地シリーズ」
1890年ということなので横浜開港から30年程経ってます。
当時電力供給を受けた700世帯はどういうご身分の方だったんでしょうかね。
「電気なんてあって当たり前」ではなかった時代...色々と考えさせられます。

No.18 横浜ベイスターズ優勝モニュメント


ベイスターズは横浜の球団となって初めてリーグ優勝し、日本一になった。
当時の選手たちの手形などが埋め込まれている。通りの愛称も「ベイスターズ通り」に変更された。(パンフレットより)
さぁ、今年の「DeNA 中畑監督」は見せてくれるでしょうか。
「ゼッコーチョー」に大いに期待したいところであります。


No.20 港町魚市場跡

1874(明治7 )年、高島嘉右衛門がこの地に生鮮食品の市場を開いた。
当時は脇を川が流れ、物流にも便利で繁盛したが、1931(昭和6 )年開設
の中央卸売市場(神奈川区)へ移転した。
石碑の後ろは横浜市庁舎です。
高島嘉右衛門(たかしま かえもん)は
「No.1 鉄道創業の地」の鉄道施設(現在の高島町の埋立て)にも関わり、
「No.10 日本最初のガス灯」でも登場したガス会社を興した方。
「高島町」の「高島」は偉業を記念して苗字から付けられたと...スゴいお方。




「14スポット制覇。残り40スポット。」




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2012年3月8日木曜日

「よこはま 中区の歴史を碑もとく絵地図」を自転車で巡る その1


No.32 ヘボン博士邸跡

No.32 ヘボン博士邸跡
ヘボンは開港直後に来日した米国の宣教師で、日本初の和英辞典「和英語林集成」
を出版した。この辞典に使われているローマ字表記が「ヘボン式」の元になった。
(パンフレットより)
 ヘボン博士。「James Curtis Hepburn」と書くので実は「ヘップバーン」らしい
 (日本人に対して「ヘボン」と名乗ったのがそのままま残ったようです)

No.31 インド水塔



No.31 インド水塔
関東大震災のがれきを埋め立てて作られた山下公園。ここには、震災後の救援活動
に感謝した横浜在住のインド人団体から寄贈された
「インド水 塔」をはじめ
「赤い靴はいてた女の子」
「かもめの水兵さん」
ほか多くの記念碑・歌碑がある。
(パンフレットより)
 この建物、その存在は知っていましたが改めてまじまじと眺めたのは初めて。
 天井は綺麗なモザイクタイル貼りとなってます。
 
No.2 第一・二・三号橋梁(汽車道)

No.2  第一・ニ・三号橋梁(汽車道)
ここには、かつて、新港ふ頭へ向かう貨物線が通っていた。
一・二号橋梁はその鉄橋で、三号橋梁は近くの大岡川橋梁から一部を移築した、いずれも貴重なトラス橋
(パンフレットより)
 写真は第一号橋梁。

No.8 生糸貿易商・中居屋重兵衛店跡

No.8 生糸貿易商・中居屋重兵衛店跡
中居屋重兵衛は群馬県嬬恋村出身。開港時の横浜で、生糸貿易の取引の大半を行った。
当時、ここには「あかがね御殿」と呼ばれる豪壮な店があった。
(パンフレットより)
 早くも出てきた「誰それ?」と言いたくなるマニアックなスポット。
 「生糸で儲けてそれはそれは悠々自適な老後でも過ごしたのだろう。」等と思ってたら、
文久元年(1861年)、突如として消息を絶つ。謀殺説も噂されたが、真相は藪の中である。(wikipediaより)
えっ?

No.9 写真の開祖・下岡蓮杖顕彰碑

No.9 写真の開祖・下岡蓮杖顕彰碑
下岡蓮杖は1862(文久 2 )年に野毛で開業した横浜初の日本人写真家。
のちに馬車道に写真館を新設して成功し、数多くの門下生を育てた。
(パンフレットより)
この碑は1987(昭和62)年に馬車道商店街協同組合により建てられたもの。
自転車の乱雑な駐輪に埋もれるように建っていました...。

No.10 日本最初のガス灯

No.10 日本最初のガス灯
1872(明治 5 )年、高島嘉右衛門のガス会社により馬車道、本町通りにかけて
日本最初のガス灯が点された。
当時を復元したガス灯が碑の両側に立っている。
(パンフレットより)
 正確には「事業としての日本最初の西洋式ガス灯」だそうです。
 1857年(安政4年):日本最初のガス灯@鹿児島県鹿児島市の仙巌園
 1871年(明治4年):日本最初の西洋式ガス灯@大阪府大阪市の造幣局周辺
 1872年(明治5年):事業として日本最初の(西洋式)ガス灯@横浜馬車道(写真の場所)
 って3番目かい。

No.11 アイスクリーム発祥の地

No.11 アイスクリーム発祥の地(太陽の母子象)
 1869(明治 2 )年、町田房三が馬車道に氷水店を出し、「あいすくりん」と
名づけて売り出した。これがアイスクリームの初めだ。その後、全国に広まる。
(パンフレットより)
その発祥の地を記念して昭和51年に設置された「太陽の母子像(本郷新 作)」


残り47スポット。制覇するかは不明。



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2012年3月1日木曜日

ワンセグ付DVDプレーヤー

怪しげなDVDプレーヤーを買いました。

KaihouのKH-DD903Rというものらしいです。

ワンセグ付きなのですが付属のホイップアンテナ経由だと予想以上に室内での電波の掴みが悪く四苦八苦。


我が家(横浜市)の場合、
東京タワー:NHK、関東広域民放(日テレ・テレ朝・TBS・テレ東・フジ)
横浜局  :TVK(テレビ神奈川)

のそれぞれから受信しているのですが、ちょっと窓際から離れるとTVK以外入らず。
(ほかの局は受信できても見れるレベルでなかったり。)



付属品で、壁から取れる同軸ケーブルも付属していたのでソレを使ってしまえば無問題なのですが、
どうしてもアンテナから安定して受信できないものかとアンテナにアルミホイルを巻いてみたり、
プレーヤーとアンテナと持って家中をウロウロしたりするもあまり効果無し。

東京スカイツリーの本放送開始が2013年1月頃かららしいのですが、それによって多少良好になる
のか、ならないのか。