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| No.32 ヘボン博士邸跡 |
No.32 ヘボン博士邸跡
ヘボンは開港直後に来日した米国の宣教師で、日本初の和英辞典「和英語林集成」
を出版した。この辞典に使われているローマ字表記が「ヘボン式」の元になった。
(パンフレットより)
ヘボン博士。「James Curtis Hepburn」と書くので実は「ヘップバーン」らしい
(日本人に対して「ヘボン」と名乗ったのがそのままま残ったようです)
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| No.31 インド水塔 |
No.31 インド水塔
関東大震災のがれきを埋め立てて作られた山下公園。ここには、震災後の救援活動
に感謝した横浜在住のインド人団体から寄贈された
「インド水 塔」をはじめ
「赤い靴はいてた女の子」
「かもめの水兵さん」
ほか多くの記念碑・歌碑がある。
(パンフレットより)
この建物、その存在は知っていましたが改めてまじまじと眺めたのは初めて。
天井は綺麗なモザイクタイル貼りとなってます。
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| No.2 第一・二・三号橋梁(汽車道) |
No.2 第一・ニ・三号橋梁(汽車道)
ここには、かつて、新港ふ頭へ向かう貨物線が通っていた。写真は第一号橋梁。
一・二号橋梁はその鉄橋で、三号橋梁は近くの大岡川橋梁から一部を移築した、いずれも貴重なトラス橋
(パンフレットより)
No.8 生糸貿易商・中居屋重兵衛店跡
中居屋重兵衛は群馬県嬬恋村出身。開港時の横浜で、生糸貿易の取引の大半を行った。
当時、ここには「あかがね御殿」と呼ばれる豪壮な店があった。
(パンフレットより)
早くも出てきた「誰それ?」と言いたくなるマニアックなスポット。
「生糸で儲けてそれはそれは悠々自適な老後でも過ごしたのだろう。」等と思ってたら、
えっ?文久元年(1861年)、突如として消息を絶つ。謀殺説も噂されたが、真相は藪の中である。(wikipediaより)
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| No.9 写真の開祖・下岡蓮杖顕彰碑 |
No.9 写真の開祖・下岡蓮杖顕彰碑
下岡蓮杖は1862(文久 2 )年に野毛で開業した横浜初の日本人写真家。
のちに馬車道に写真館を新設して成功し、数多くの門下生を育てた。
(パンフレットより)
この碑は1987(昭和62)年に馬車道商店街協同組合により建てられたもの。
自転車の乱雑な駐輪に埋もれるように建っていました...。
自転車の乱雑な駐輪に埋もれるように建っていました...。
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No.10 日本最初のガス灯
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No.10 日本最初のガス灯
1872(明治 5 )年、高島嘉右衛門のガス会社により馬車道、本町通りにかけて
日本最初のガス灯が点された。
当時を復元したガス灯が碑の両側に立っている。
(パンフレットより)
正確には「事業としての日本最初の西洋式ガス灯」だそうです。
1857年(安政4年):日本最初のガス灯@鹿児島県鹿児島市の仙巌園
1871年(明治4年):日本最初の西洋式ガス灯@大阪府大阪市の造幣局周辺
1872年(明治5年):事業として日本最初の(西洋式)ガス灯@横浜馬車道(写真の場所)
って3番目かい。
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| No.11 アイスクリーム発祥の地 |
No.11 アイスクリーム発祥の地(太陽の母子象)
1869(明治 2 )年、町田房三が馬車道に氷水店を出し、「あいすくりん」とその発祥の地を記念して昭和51年に設置された「太陽の母子像(本郷新 作)」
名づけて売り出した。これがアイスクリームの初めだ。その後、全国に広まる。
(パンフレットより)
残り47スポット。制覇するかは不明。
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